2013年7月 9日

暑さの中の戯れ言

歩けないと、歩かない。

文字にすれば、一文字違い。

よって、聞き流してしまう。

その結果、勘違いが起こる。

歩けないも、歩かないも、似たようなものだ、と。

すると、何となく、思ってしまう。

そのつもりになれば、歩けるのだ、と。

歩けるのだから、何もしなくて、いいじゃない、と。

だから、バリアフリーが、進まないのだろう。

などと、無理やり、こじつけてみた。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
これからの一日が、あなたにとって良き日でありますように。

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2013年6月24日

分かり合えることの奇跡

怪我の痛みは、怪我した人間にしか分からない。

病気の苦しみも、病気した人間にしか分からない。

それでも、分かり合えるかどうかは、不明。

感じ方が、人によって異なるからだ。

赤にも、いろいろな赤がある。

ワインレッドもピンクも、赤だ。

感じ方だって、同じようなもの。

それでも、健康な人の想像よりは、まだ近い。

色合いまで、違うわけではないから。

とにかく、分かり合えれば、奇跡に近いのだ。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
これからの一日が、あなたにとって良き日でありますように。

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2013年6月22日

同じことを別角度から

加齢に伴う衰え、視点を変えてみる。

細胞レベルで、考えてみる。

人間の細胞は、日々、生まれ変わる。

3ヶ月もすれば、すべての細胞が、新しくなっているとも。

つまりは、新品になっているわけだ。

ここだけ見たら、加齢とともに、生まれ変わってる?

そう考えると、明るくなれる。

実際は、衰えてるようだけど、思い直せる。

加齢とともに、モデルチェンジしているのだ、と。

わざわざ自分で、暗く考えることもあるまい。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
これからの一日が、あなたにとって良き日でありますように。

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2013年6月21日

あるがままを受け入れて

加齢とともに、感覚は鈍る。

老眼が入り、高音が聞こえなくなる。

生きている以上、仕方ないことだ。

それに反発するだけ、虚しくなる。

だから、受け入れる。

それが、自然の姿だ、と。

身体の動きは、もう鈍い。

無理して、若ぶることもない。

リラックスして、気楽に過ごす。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
これからの一日が、あなたにとって良き日でありますように。

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2008年9月24日

実力の真偽

誰にでも、実力というものがあります。

昼食時、財布の中に千円しか入っていなければ、それがその場での実力。

千円以上のランチは、食べられません。

高級レストランに入り「いつもなら一万円入ってるんだ」

そう言っても、どうしようもありません。

高級ランチを食べるには、それ相応の金額が必要なのです。

千円が真の実力なら、一万円は偽の実力。

自分の頭の中では、いつも財布の中に一万円。

たまたま銀行に行き忘れ、所持金が千円だったとしても、千円が一万円には化けません。

千円しか持っていなければ、千円分の客でしかありません。

この真と偽のギャップが勘違いの元。

実力なるものを計るのは、自分ではなく相手なのです。

本当の自分は、もっと実力有るんだ!

いくら叫ぼうと、相手が「あなたは、こうだ」と判断すれば、それが実力。

納得いかなければ「あなたの言うとおり」なる相手を探さねばなりません。

相手が認めない実力は、単なるうぬぼれと言われかねないわけです。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
これからの一日が、あなたにとって良き日でありますように。

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2008年9月23日

分の相応、不相応

「これくらいが、私には分相応です」

以前は、こんなこと、考えもしませんでした。

それが、身体を壊してから、何となく、ポツポツと・・・

油断すると、欲張ろうという感情に流されます。

それを戒めるためにも、分相応を心がけるのは効果的。

「おいおい、それはちょっと、欲ってものじゃないのかい?」

一日、何回思うことでしょう。

似たような感じですが、分不相応は考えぬように。

必要以上に、卑屈になるような氣がして・・・

「このようなこと、私には、分不相応です」

結果的には、大差ないはずです。

ただ、そこに何が残るか?

これくらいが分相応には、これくらいのものが残ります。

自分の意志で決めた、これくらいが。

でも、このようなもの分不相応の後には、何も残らないのです。

自分の意志ではあっても、拒んだだけ・・・

でも、その差は、微妙・・・

自分でも、はっきりと認識できていない面も。

しかし、分をわきまえるということに関し、いろんなアプローチがある。

それで良いのだと、今は思うわけです。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
これからの一日が、あなたにとって良き日でありますように。

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2008年9月22日

目に入った瞬間に

夜中、部屋の中を、ゴソゴソ動き回る音がしました。

明かりを点けた瞬間、大きなムカデが。

初めての出来事に、ちょっとビックリ。

部屋に明かりが点き、ムカデが目に入った瞬間、驚いてしまったという流れです。

時間にしたら、一瞬のことです。

ムカデがいなくなってから、ちょっと反省。

まず、耳に入ったのは、単なる音です。

その音を聞いて「何だろう?」

目に入ったのは、動いてる物体。

その物をを見て「あっ、ムカデだ」

ここで、止まっていれば、何ら問題なかったわけです。

その後「刺されてしまう」「刺されたらどうしよう」・・・

余計な思考が入ったばかりに、心臓バクバクするハメに。

ただ、部屋の中を移動していただけのムカデ。

刺すそぶりさえ、見せていませんでした。

それなのに、勝手に“ムカデ=刺す”と決めつけ、あたふたと・・・

落ち着けば、簡単に外へ出すことができたのに・・・

まだまだ未熟な心だったわけです。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
これからの一日が、あなたにとって良き日でありますように。

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2008年9月21日

当たり前に勘違い

台風の影響で、1週間ほど雨が続きました。

そのせいか、台風一過の青空に感動。

空って、こんなにも青かったのだ、と。

何もなければ、空が青いことに注目しません。

それは、当たり前だから。

自分にとって、当たり前のことは、氣にしてないわけです。

しかし、自分の周りって、大多数が、当たり前と思われることで占められています。

でも、当たり前だと思っているのは、自分だけ。

当たり前だからって、盤石ではありません。

そもそも、歩けなくなるなんて、思いも寄りませんでしたから。

当たり前のことは、当たり前であって当然。

その考えが誤っていたと氣づくのは、当たり前でなくなった時。

結局、遅すぎるのです。

当たり前を、当たり前と勘違いする。

そこに潜むのは、自分のごう慢さ。

氣をつけなければ、大きなしっぺ返しを食います。

当たり前のことなんて、実は、ほとんど無いのです。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
これからの一日が、あなたにとって良き日でありますように。

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2008年9月20日

黒板に爪を立てると

想像してみてください、黒板に爪を立てた音を。

この音を、大好きと言う人に、出会ったことはありません。

でも、広い世の中、ひょっとしたらいるかも・・・

そんな人に対し、どういう感想を持つか?

おそらく、エッ!とか、変な人とか。

でも、相手にとっては、心外な話。

想像してみてください、自分の大好物を。

そして、こう言われたら?

「そんな物を好きだなんて、あなたって変じゃない?」

どういう波が心に立ちましたか?

先ほどの黒板の音と、どこが違うというのでしょう?

それだけで、いかに自分勝手かというのが分かります。

自分が好きなのは、相手も好きでなければ。

自分が嫌いなのは、相手も嫌いなはず・・・

つい自分と相手とを、同じ輪の中に、入れ込もうとしがち。

でも、決して、同じ輪には入れません。

なぜなら、自分と相手は、異なる存在だから。

当たり前のことなのに、つい忘れがち。

偶然、車イスが、黒板の音を出したばかりに、こんなことを思ったわけです。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
これからの一日が、あなたにとって良き日でありますように。

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2008年9月19日

入院中に知ってれば

「食べるのだけが、楽しみでね」

入院中、隣のおじちゃんに言われたセリフ。

確かに、入院も1ヶ月、2ヶ月となると退屈します。

たまにはノンビリしたいと思う人でも、1ヶ月は無理でしょう。

その退屈な毎日の中で、唯一楽しみなのが、食事となってた模様。

この氣持ち、痛いほど分かります。

でも、私の場合、そこまではなかったわけで・・・

一体、その差は、何だったのだろう?

そう考えて、思い当たったことがひとつ。

それは、変化。

なぜ入院生活が退屈するかと言えば、ほとんど変化がないから。

その中で、唯一と言っていいほど変わるのが、毎日の献立。

もし、メニューが毎日同じだったら?

患者の暴動が起こるかも。

私の場合、毎日、身体に変化が起こっていました。

だから、入院生活に、退屈さが入り込む余地も無かったわけです。

入院中の身体の変化、ほとんどの人に有ったはずです。

身体自体が、治ろう治ろうしていたわけですから。

ただ、氣づかなかっただけ。

入院中に、このことを知ってれば・・・

同室のおじちゃんを、退屈させなかったのに、なんて思ったわけです。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
これからの一日が、あなたにとって良き日でありますように。

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