効率だけでは測れないもの
子供の頃、TVの中に、真空管があった。
そして、会話の中に、普通に「真空管が切れた」があった。
そんな真空管、今では、一部のマニアの間にのみ、生きるだけ。
大多数にとっては、「これ何?」だろう。
昔は、真空管が無けれれば、TVがTVとして、働けなかった。
ところが、現代、真空管は、まったく不要に。
花形スターも、時代とともに、移ろいゆくのだ。
では、なぜ、一部とは言え、マニアの中で生き残っているのか?
それは、真空管の良さを認める人が、一定数いるから。
不要になったからと言って、良さが消えるわけじゃない。
すべてが、効率の名の元に、淘汰されるものでもないわけだ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
これからの一日が、あなたにとって良き日でありますように。
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