幸せになる、幸せである
「幸せになる」と「幸せである」の違いとは?
TVドラマで、嫁ぐ娘へのセリフに「幸せになるんだよ」なんてあります。
考えたら、好きな人と一緒になるのだから、既に幸せなのでは?
それ以上の幸せなんて、単に欲なのでは?
ふと、そんな考えが、浮かんできました。
「幸せになる」と決めた瞬間から、現状には“不満”が芽生えます。
まだまだ、自分は完全に幸せではないのだ・・・と。
確かに、人は、幸せになるために、存在していると思います。
“もっと上を目指す”という姿勢に、誤りもないでしょう。
ただ、幸せには、明確なゴールが存在しない、とも言えるのでは?
ゴールのないマラソンなんて、走れるものではありません。
だから、それぞれが「幸せである」というポイントを、持たねばと思うのです。
「幸せになる」と決めたポイントは、外にあります。
でも、「幸せである」というポイントは、内にあるのです。
外に求め過ぎているかも知れないし、内で妥協し過ぎているかも知れません。
不幸な状態なのに、幸せだと思い込む必要はないし、幸せな状態にもかかわらず、もっともっとでも・・・
自分にとっての“ちょうど良い”が、大切だと思うのです。
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コメント
先生の記事を読んでいて、聖母マリアの受胎告知の天使ガブリエルの言葉を思い浮かべました。「おめでとうマリア、あなたは幸せな方、主があなたと共におられる…」しかし、マリア様の人生は、傍目に見て決して幸せなものとは思えません。波乱に満ちていて、しかも愛するわが子が十字架に掛かるのを見届けなくてはならない人生でした。
多分、聖書で言う幸せとは、私達の願う幸せとはちょっと違うようなんです。つまり、神の使命を生きることを幸せなことと言っているようです。自己中心の幸せや、欲張りの幸せは、たとえ得たとしても、すぐに色あせてしまいます。決して満たされることはなく、周りと比較して苦しむことだってあります。
先生の仰るとおり、幸せを確認するためのポイントって大切なように思います。できることなら、日常の小さなことに幸せを感じられる心でありたいものです。
今日も、素敵な時間をありがとうございます (=^・^=)ノ
投稿: 盛岡のしろねこ | 2006年11月 7日 22:09
しろねこさん、こんにちは。
何をもって、幸せと言うのか?
人の目で見るものと、神の目で見るのとでは、異なるのでしょうね。
所詮、人間とは未熟な生き物だと思います。
だからこそ、謙虚に生きなければ、と思うわけです。
すると、生きているということだけで、幸せなのかな?なんて思います。
投稿: 釈円融 | 2006年11月 8日 09:53