2009年7月10日

どれだけやったら努力と呼ぶか

努力することは大切です。

これまで、何度も耳にしてきた言葉。

「私は、十分努力しています」

そう答えることもあります。

でも、それは真実なのか?

何を以て、十分な努力とするのか?

これ以上できないくらい努力しているから、それで十分?

でも、“これ以上できない”の基準は?

そこに、甘え心は無いのだろうか?

結局、自分一人が納得しているだけでは、不十分そうです。

周囲の人も、確かにそうだと認める努力。

それくらいやって、初めて努力したのだ、と。

今まで走ったことの無い人なら、1キロも走れば十分な努力。

でも、毎日10キロ走ってる人に言わせれば、単なるウォーミングアップ。

努力の必要な時があります。

そんな時、自己満足していても仕方ないと・・・

入院中の、無謀とも思えるリハビリ三昧の日々。

ひょっとしたら、意味があったのかも知れないと思う、今日この頃なのです。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
これからの一日が、あなたにとって良き日でありますように。

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2009年7月 9日

雨のにおいで思い出し

一汗かこうと、リハビリやっている時でした。

夏の日差しが、まぶしい昼下がりにもかかわらず、雨のにおいが・・・

間もなく、晴れているのに、大粒の雨。

晴れているから、雨は降らない。

その思い込みで、初動が遅れました。

窓を閉めまくる間に、部屋中びっしょり。

通常なら、「まったく、もう」と、誰に向けるでもない怒りが出たはずです。

しかし、その日は違いました。

確かに、部屋が濡れたのは面倒だったのですが、笑みが浮かんでいたのです。

それは、久しぶりの雨のにおいに、感動していたから。

その微妙な感覚を、まだ失っていなかったから。

歩けなくなるという一大事の前では、すべてができなくなったような錯覚に。

でも、そんなことは、あり得ぬわけで・・・

無くしたものに焦点当てるより、持ってるものこそに当てるべし。

改めて、再認識したわけです。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
これからの一日が、あなたにとって良き日でありますように。

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2009年7月 8日

何を基準に簡単と

初めてやることでも、あっさりできる場合があります。

そんな時、決まってこう思うのです。

簡単なことだ、と。

その裏に潜む、大きな罠にも氣づかずに・・・

簡単だと思うと、ついついなめてしまいます。

いつでもできると思い、準備もそこそこ。

それでも、いつもどおりできてしまうのです。

この件に関しては、自分は完璧。

そう思い、準備することさえ忘れてしまいます。

そんなある日、これまでできていたことで、大きな失敗を・・・

なぜ?

頭の中は、それでいっぱい。

花瓶に挿した花は、いつまでも咲いていません。

1日2日はもっても、3日もたそうと思えば、水替えとかが必要です。

簡単だと思っていることでも、環境の変化で急転直下。

そういうこともあるのだと・・・

だからこその、油断大敵だと思うわけです。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
これからの一日が、あなたにとって良き日でありますように。

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2009年7月 7日

三日坊主の山を見て

これまでを振り返ると、いろいろなことをやっています。

あっさり終わったこともあれば、未だに続いているものも・・・

もし、あのまま、続けていたらどうなっていただろう?

そう思ってしまうものもあります。

済んでしまったことはしかたないので、なぜ三日坊主となってしまったか?

そちらを眺めてみることに。

コツコツやるのに飽きなければ、三日坊主はあり得ません。

飽きないためには、それなりの理由があります。

やってて楽しいとか、元氣になれるとか・・・

でも、最たる理由は、成果が見えることだと思うのです。

どんなに苦しくとも、目に見えて成果が出ると、続けられるもの。

その苦しささえ、そうで無くなっていきます。

ところが、そういう経験は、なかなか積めません。

ついつい、時間のかかることに挑戦するからです。

成果までの長い道のりに、耐えられないのです。

その結果が、三日坊主の山に・・・

まずは、小さな成功体験から。

些細なことでも、継続から生まれる自信は、大きいものなのです。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
これからの一日が、あなたにとって良き日でありますように。

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2009年7月 6日

確かにそれも正しいが

あらゆるものが、二面性を持ちます。

たとえば、目の前にあるコップ。

真上から眺めると、円形です。

でも、横から見たら、長方形。

それなのに、コップの形で争うのです。

円だと言ったり、長方形だと言ったり・・・

どちらも、それぞれの正しさを主張します。

実際、そう見えるのですから、曲げるわけがありません。

自分が正しいと思うことが、絶対的に正しいのです。

問題なのが、この“絶対”ということ。

円だろうと、長方形だろうと、どちらも部分的には正しいのです。

でも、コップは、平面ではなく立体です。

自分が正しいと思っていることから、一歩踏み込まないと、真の姿は見えません。

真の姿が見えていないと、とんでもない間違いを犯すもの。

本当に、見えているのか?

改めて、自問するわけです。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
これからの一日が、あなたにとって良き日でありますように。

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2009年7月 5日

根っこを枯らす大変さ

今日から心を入れ替えて・・・

いくら決心しようとも、そう簡単に、根っこの部分は変わりません。

深く、広く張り巡らされた根。

本質を変えようとすれば、まずは、その根っこを掘り出すことから。

掘っても掘っても、根っこの端は顔を出さないのです。

掘り始めて、どれくらい?

段々と、決心が揺らいできます。

本質なんて、変わらないのではなかろうか?

余計な不安が、顔を出します。

すべての根っこを掘り出して、枯らしてしまえば、そこから芽は出ません。

それが、本質を変えるということ。

非常に困難な作業のため、ついついあきらめてしまうのです。

ちょっと掘っては、もうやめた、と。

そのうちに、変えたいと思った本質の、嫌な面と対峙することに。

再び、変えなくちゃと決心。

その繰り返しが、強い決心に変わるまで、続くのだろうか?

投げ出さなければ大丈夫と、励ます毎日なのです。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
これからの一日が、あなたにとって良き日でありますように。

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2009年7月 4日

身の周りの小さな奇跡

先日、歯の定期検診を受けてきました。

その歯科医院での出来事です。

治療時は、いつものように、イスが倒されます。

きちんと膝をそろえて座っていても、身体が伸びる瞬間、膝がカクンと横に倒れます。

これも、足の筋力が無いために起こる現象。

腕も届きませんから、膝は倒れるままです。

よって、私の仕事は、なるだけ優しく倒れる角度を見つけること。

足首をあらかじめひねって、座るようにしていました。

それを思い出すのも、思い切り、膝をカクンと倒してからなのです。

一度痛い目を見て、初めて思い出すという次第です。

先日は、それを思い出したのが、治療も終盤に差し掛かってから・・・

つまり、ヒザが横倒れしていなかったわけです。

早い話、足に筋力が付いていた、と。

立つことはないにしても、このような変化は、やはりうれしいもの。

小さな世界の、小さな奇跡だったわけです。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
これからの一日が、あなたにとって良き日でありますように。

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2009年7月 3日

いつの間にか減ったストレス

雨の降りしきる午後、外を眺めていたら、突然温かい氣持ちに。

今の自分の境遇に対する感謝の念です。

確かに、車いすの生活です。

身の回りのことも、最低限のことしかできません。

生活態度も、必要最小限となっています。

でも、その結果、自分のペースで暮らせます。

他人にとやかく言われるものは、ほとんどありません。

自分の意志で、自分で決めて、自分で動く。

毎日が、この繰り返し。

これ以上は、シンプルにできないかも?

というような、生活パターンなのです。

金銭的なぜいたくとは、全く無縁。

でも、私には、今の生活が、非常にぜいたくに感じます。

ストレス無く、日々を送れることのありがたさ。

そこに思いが行った瞬間、感謝の念に至ったわけです。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
これからの一日が、あなたにとって良き日でありますように。

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2009年7月 2日

途中で投げだし何回泣いた?

途中で投げ出すことは、たやすいことです。

これまで、何度となくやってきました。

では、それですべてが、解決したのか?

残念ながら、そではありません。

投げ出したことで、別な問題が生じることもあります。

それよりも、後悔の念にさいなまれることの方が、大きかったような・・・

重い荷物を、疲れたからと放り出す。

放り出された荷物は、一体どこへ?

疲れが取れて、足元を見ます。

在るべき荷物が、見あたりません。

重い荷物ほど、持つのが大変です。

重い荷物ほど、手を放した瞬間、谷底まで落ちやすいのです。

そして、重い荷物ほど、大切なものが詰まっているのです。

一時の楽を得るために、無くしてならぬものを失う。

そんなことは、やるはずないと思いつつ、結構やっています。

歯を食いしばる必要だって、たまにはあるのです。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
これからの一日が、あなたにとって良き日でありますように。

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2009年7月 1日

雨音を楽しめるようになって

このところ、毎日のように雨が降っています。

就労していた頃は、大嫌いだった雨。

それは、車いすを乗り降りするたび、ぐっしょり濡れたから・・・

朝起きて、雨の音を聞くたび、最悪の氣分になったものです。

今でもそうなのか?

不思議なことに、真逆の状態です。

雨音がショパンの調べだと、楽しんでいます。

その差は、自分が濡れるかどうか。

たったそれだけの差でしかありません。

ひとつの雨音が、天国と地獄を味わわせてくれました。

でも、そこにあるのは、単なる自己都合。

雨音にとっては、迷惑な話です。

今日も雨音を聞きながら、思います。

この雨音と、同じ音は、二度と聞けないのだ、と。

大嫌いだった当時の雨音、どんな音だったのだろう、と。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
これからの一日が、あなたにとって良き日でありますように。

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